2026年版のものづくり白書によると、人材育成に問題を抱える製造業の事業所では、「指導する人材が不足している」を挙げた割合が62.8%で最も高くなっています。1 いまは、分からないことを先輩ではなくAIに尋ねることもできます。 人類の進化を文化の伝わり方も含めて研究する進化人類学には、技能を受け継ぐ人が減ると、難しい技能から先に失われると考えるモデルがあります。

この記事の目次(6節)
  1. 若手が減り、ベテラン頼みの技能継承
  2. 学び手が多いほど技能は保たれる、という進化人類学のモデル
  3. 自動化すると技能が衰える、という心理学の「自動化の皮肉」
  4. ここから先は想像です
  5. この未来が近づくなら、先に現れる兆し
  6. 自社で試せること

若手が減り、ベテラン頼みの技能継承

労働政策研究・研修機構の調査では、技能継承の取り組みとして、再雇用や勤務延長で高年齢の従業員に働き続けてもらうことを挙げた企業が54.8%で最も多くなっています。 製造業の若年就業者(34歳以下)は、2002年の384万人から2025年には258万人に減り、近年はほぼ横ばいで推移しています。1 ただ、教える側のベテランは、いずれ退職の時期を迎えます。 検査記録の作成など、記録業務でAIを試す会社もあります(製造現場の検査記録をAIで下書きする記事)。

学び手が多いほど技能は保たれる、という進化人類学のモデル

人類学者のジョセフ・ヘンリックは2004年の論文で、タスマニア島の例を取り上げました。 島は約1万2000〜1万年前、海面が上がってオーストラリア本土から切り離されました。 18世紀にヨーロッパ人が訪れたとき、島の先住民の道具は約24種類で、本土の先住民が使っていた釣り針や網などは見られませんでした。 ヘンリックは、それらが失われたか、最初から作られなかったと考えました。2

ヘンリックのモデルでは、人は集団でいちばん腕のいい人をまねて技能を学びます。 まねても完全には写し取れないため、多くの人は手本より少し劣る技能にとどまります。 それでも学び手が多ければ、たまたま手本を超える人が出て、技能は保たれます。 学び手が一定の数を割り込むと技能は少しずつ衰え、難しい技能ほど先に失われる、とモデルは予測します。 ヘンリックは、ほかの集団との行き来が十分にあれば、実質的な学び手の数は集団の人数より多くなりうるとも述べています。2

このモデルには有力な反論があります。 人類学者のドワイト・リードは2006年、タスマニアの人々は暮らしの必要を満たす道具を使っていたと論じました。 技能が失われたのは学び手が足りなかったからではなく、食料の手に入れ方や技術が変わったからだ、という見方です。3

実験で確かめた研究もありますが、結果は分かれています。 大学生がロッククライミングの結び方を10世代にわたって伝えた実験では、手本が1人のグループは、5人のグループより技能の落ち方が速くなりました。4 一方、大学生543人が紙飛行機の作り方を次の世代へ伝えた実験では、手本から学ぶ条件の中で、手本が1人のグループだけが改良を重ねました。 手本が2人・4人のグループでは改良が進まず、手本なしで試行錯誤したグループは、手本が1人のグループと同じくらい改良しています。5 手本や学び手が多いほどよい、とまでは言い切れません。

自動化すると技能が衰える、という心理学の「自動化の皮肉」

心理学者のリサン・ベインブリッジは1983年の論文「自動化の皮肉」で、次のように指摘しました。 手を動かす技能は、使わなければ衰えます。 自動化された工程を監視するだけになった制御室の熟練運転員は、しだいに技能が落ちていきます。 当時の自動化設備は、手動運転の経験がある運転員の技能に支えられていました。 次の世代はその技能を身につけられないのではないか、とベインブリッジは懸念しています。6

旅客機のパイロット16人をフライトシミュレーター(模擬飛行装置)で調べた2014年の研究では、手動操縦の技量はおおむね保たれていました。 落ちていたのは、機体の位置の把握や次の手順の決定、故障の発見といった、状況をつかむ力です。7

生成AIでも、学習の成果が下がるという研究が出ています。 トルコの高校で、数学を学ぶ生徒約1000人を対象にした研究があります。 ChatGPTに似せたふつうのAIを使った生徒は、AIを使わずに解く試験で、一度も使わなかった生徒より成績が17%低くなりました。 学習の妨げにならないよう工夫したAIを使った生徒では、この落ち込みはおおむね見られませんでした。8

AIを開発するAnthropicは、若手を中心とするソフトウェアエンジニア52人を対象に実験しました。 課題は、新しいライブラリ(プログラムの部品集)の使い方を覚えることです。 AIを使ったグループは、使わなかったグループより、直後の理解度テストの点が17ポイント低くなりました。 こちらは、査読(専門家による論文の審査)を経ていない研究です。9

ここから先は想像です

小さな会社では、AIがいちばん手近で、いちばん腕のいい手本になるかもしれません。 例えば、社員10人ほどの金属加工会社で、新人が段取りに迷うたびに、先輩ではなくAIに尋ねるようになったとします。 自分で手を動かして試す人が減れば、ヘンリックのモデルでいう学び手も、知らないうちに少なくなるおそれがあります。

すると、簡単な作業の技能は残り、難しい技能から先に失われていくのではないでしょうか。 いつもと違う不具合に気づく勘、取引先の注文の意図をくむ判断、手順書にない事態での段取りといった技能です。 パイロットの研究で、手動操縦の技量ではなく状況をつかむ力が落ちていたことと、同じ構図になるかもしれません。

仮に10年後、手作業の時代に育ったベテランが引退したとき、AIが止まると誰も手が出せない職場が出てくるかもしれません。 ベインブリッジが40年あまり前に示した「自動化の皮肉」が、工場の制御室ではなく町工場で起きるわけです。

逆の展開もありえます。 AIが同業の会社どうしの知恵の橋渡しをし、先のモデルでいう「ほかの集団との行き来」の役を担うとしたらどうでしょう。 小さな会社でも、技能を支える学び手の輪、いわば「集団脳」を広げられるかもしれません。 分かれ目は、AIの答えをそのまま使うか、AIに理由を尋ねながら使うかにあるのではないでしょうか。

この未来が近づくなら、先に現れる兆し

  • 「AIなしでも仕事を回せる人」を条件にした求人が出てくる
  • AIを使わない日を設けたり、AIなしの訓練を取り入れたりする会社が出てくる
  • 取引先や保険会社が、手作業での訓練の記録を求めるようになる
  • 同業の会社どうしで、AIの使い方と失敗を持ち寄る勉強会が増える

自社で試せること

AIに任せている仕事のうち、判断を伴うものを1つ選び、年に数回は人だけでこなす日を決めてみてください。 新人がAIの答えを使うときは、その答えがなぜ正しいのかを先輩に説明させる方法もあります。 AIの答えを別の目で確かめる考え方は、AIの書いたものをAIがレビューする記事にまとめています。 ほかの業界での任せ方は、自動車整備のAI活用の記事も参考になります。

出典

  1. 厚生労働省 2026年版 ものづくり白書 概要(参照 2026-09-27)62.8%の元の調査は厚生労働省「能力開発基本調査(事業所調査)」(2025年6月)。54.8%の元の調査は労働政策研究・研修機構「ものづくり産業における人材確保・定着と技能継承に関する調査」(2026年5月)。若年就業者の数字は総務省「労働力調査」。
  2. Joseph Henrich「Demography and Cultural Evolution」(American Antiquity, 2004)(参照 2026-09-27)69巻2号。
  3. Dwight Read「Tasmanian Knowledge and Skill」(American Antiquity, 2006)(参照 2026-09-27)71巻1号。
  4. Muthukrishna ら「Sociality influences cultural complexity」(Proceedings of the Royal Society B, 2014)(参照 2026-09-27)281巻。
  5. Fay ら「Increasing population size can inhibit cumulative cultural evolution」(PNAS, 2019)(参照 2026-09-27)116巻14号。対象は西オーストラリア大学の学生。
  6. Lisanne Bainbridge「Ironies of Automation」(Automatica, 1983)(参照 2026-09-27)19巻6号。
  7. Casner ら「The retention of manual flying skills in the automated cockpit」(Human Factors, 2014)(参照 2026-09-27)56巻8号。
  8. Bastani ら「Generative AI without guardrails can harm learning」(PNAS, 2025)(参照 2026-09-27)122巻26号。
  9. Anthropic「How AI assistance impacts the formation of coding skills」(2026年1月29日)(参照 2026-09-27)著者はShenとTamkin。査読前の論文。

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